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社名の由来

当社は、武蔵野の地で創業しました。社名は武蔵野から命名しました。「武蔵野にある香水の工場(ワークス)」という意味です。武蔵野の林が醸し出す美しさ・優しさは私たちの制作活動の原点です。

太古の武蔵野

武蔵野には旧石器時代から人々が暮らしていた形跡があります。当社の事務所から徒歩5分くらいには「鈴木遺跡」があり、3万年から1万年くらい前の石器などが現在も出土しています。

「鈴木遺跡」は、東京を横断する石神井川のかつての源泉と考えられています。源泉の周囲に古代の人々が暮らしていたんですね。

当時の武蔵野は、おそらく原生林がうっそうと生い茂るジュラシックパークのような世界が拡がっていたことでしょう。ただし、武蔵野には巨大は恐竜や猛獣が活動していた形跡がなく、穏やかなで優しい森だったと推測されます。

草原となった武蔵野

文明が生まれ、人々の歴史が始まるようになると武蔵野は、森から原野へと変貌したと推測されます。

なぜなら、万葉集をはじめ多くの古書には、武蔵野は森や林ではなく、草が生い茂る野として記述されているためです。古代の人々による焼き畑の普及で森が草原へと変化したと空想されます。

武蔵野は、奈良時代や平安時代の詩人達を魅了する美しい野原であり、特別な思いで武蔵野が描かれていることが、多くの和歌や随筆からうかがえます。

生活と自然が一体化した武蔵野

しかし、江戸時代、江戸の爆発的な人口増加とその食料確保のために武蔵野の開拓が始まります。その原動力は世界的に有名な上水道・玉川上水でした。

武蔵野の大地に水路が拓かれたことで、耕作地の拡大、そして人の手による社寺林・屋敷林・街道防風林・雑木林などの植林によって、武蔵野は草原と林と人々の生活が一体となった独特な大都市郊外エリアへと変貌します。

明治時代、近代日本へと突入したとき林と田園が一体となった武蔵野に対して、国木田独歩は著作『武蔵野』の中でこのように表現しています。

「昔の武蔵野は萱原のはてなき光景をもつて絶類の美を鳴らしてゐたやうにいひ伝えてあるが、今の武蔵野は林である」

落葉樹の美しさ

国木田独歩は、武蔵野のとくにナラ・ケヤキ・イチョウなどの落葉樹に心を奪われたようです。

「木はおもに楢(なら)の類いで冬はことごとく落葉し、春は滴るばかりの新緑萌え出ずるその変化が秩父嶺以東十数里の野いっせいに行なわれて・・・」

「元来日本人はこれまで楢の類いの落葉林の美をあまり知らなかったようである。林といえばおもに松林のみが日本の文学美術の上に認められていて・・・初めて東京に上ってから十年になるが、かかる落葉林の美を解するに至ったのは近来のことで・・・」

武蔵野の魅力

武蔵野の魅力は、原生林の林としてではなく、人々と自然が調和している空間にあるように感じられます。国木田独歩は武蔵野の魅力をこのように書き留めました。

「自分が一度犬をつれ、近処の林を訪おとない、切株に腰をかけて書ほんを読んでいると、突然林の奥で物の落ちたような音がした。足もとに臥ねていた犬が耳を立ててきっとそのほうを見つめた。それぎりであった。たぶん栗が落ちたのであろう・・・」

国木田独歩がつづった『武蔵野』から100年、少なくなったとはいえ武蔵野の林には現代人にも共感できる感動があります。